12月

2021.12.15水

ワークショップ

来春、詩のワークショップを、また試験的にしようかな、と思っています。毎年東京で開いていた「言葉を探す旅」もこの2年くらい開けてないので。オンラインで、どなたでも参加できる形で。問い合わせいただいている方には、詳細がきまったら直接ご案内メールしますね。それまで企画を練ってみます。

2021.12.10金

変換

日本語変換にGoogleのをテスト(これが初入力)。
しばらくこれを使ってみよう。

2021.12.8水

新米

秋に稲刈りをさせてもらったときのお米をいただいた。炊いてたべたらさぞうまかろ。

2021.12.1水

懐かしい

今日、初雪が降った。

山陰に来て、初めての冬。

毎日、半纏を着て過ごしている。今日沖縄からもらったメールは、まだ半袖、て。

今年のはじめまで、そんな南の島で暮らしてたんだ。まだ懐かしいというほど日は経っていない。でも、こことはずいぶん気候が違う。いまのこの澄んだ空気感のほうが、むしろ懐かしいかもしれない。そういえば、こんなふうだったな。冬に沖縄以外に滞在したこともあるんだから、懐かしいというのはおおげさな言い方だろうか。でも、ただの旅先と、自分の家で過ごすのとでは、ちょっと違う。この冬の空気感のなかで、毎日生活している感覚が懐かしい。それは東京にいた頃のこと。ただ山陰はもう少し、雪国な感じ。初めてだ。

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11月

2021.11.28日

ぶじ

昨日はぶじB&Bさんで宮尾節子さん(聞き手・藤井一乃さん)とオンライン対談してきました。いろいろと書きたいことはあるけれど、イベントがおわったとたん、プシュンとエネルギー切れで。昨晩はビールを飲みながら、ネトフリなぞ観て、ふぬけになっておりました。聞きに来てくださった方々、感謝。

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もともと今回の詩集は線の細いものをつくっているのだろうと思ってはいたのですが、実際にできあがって少し時間が経ってみると、思っていた以上に細いものかもしれない、と感じられてきました。
ただ、普段詩をたぶんそれほど読まないであろう友人(このホムペをつくるきっかけになった例の)から感想が届いて、びっくりしたんだけど。彼が苦もなく読んでるところをみると、そこまででもないのかな。

昨日話したことだけれど、このホムペでもかなり初期から言っていることだけれど、詩はかんたんとかなんかいとか、そういうのはどちらでもいいことだと思っている。昨日は「簡単だからといってバカにする必要はないし、難解だからといって遠ざける必要はない」と話しました。簡単でも難解でも同じことで、詩はいいなとか何か気になるとかなんでも、何かを感じたら、というものだから。

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そのイベントで質問をもらって。自分の感情をむき出しに書かないほうが読み手が想像できるからよいかどうか、ということについて。

昨日(11/28)は、自分の思うことを以下にたくさん書いてしまったのですが、質問への返事としては迂遠でわかりづらいので、追記します(11/29)。

*〈感情をむき出しに書く〉といっても色々だと思うので、ほんとうは詩を読ませてもらったほうがいいのですが、こちらが勝手に想像して、その上でなにか詩作の実践的な足しになれば、と返事を書いてみます。

自分の感情をむき出しに書きながら、なおかつ読み手に想像の余地を残す、という見事な詩は、やっぱりあるんですよね。

くるあさごとに
岸田衿子

くるあさごとに
くるくるしごと
くるまはぐるま
くるわばくるえ

読んでみると、感情がむき出しに見えます。でも読んでいて、想像の余地がいろいろあります。そしてきっと、この詩はきっちりと推敲したのではないかとも思われます(パッと書けてしまったのかもしれませんが)。少なくとも、読めば意味がストンと落ちてきます。

ただ、この詩は抽象的です。もし具体的な場面や、具体的なできごととともに、自分の感情を書いたなら、また違うんじゃないか、と思われるかもしれません。でもぼくは、つきつめたら同じじゃないかな、と思っています。具体的な場面での具体的な感情を、詩で書く。ましてや作者自身の感情を書く。それって難易度が高いです。でも、両立しないわけではありません。きっと。

感情をむき出しに書くかどうかは、そのときその詩をどう書きたいか、自分の気持ちに従えばいい、と思います。
感情がむき出しでもそうでなくても、その詩がその詩であること、が大事なんじゃないかと思います。書きたいと思ったその詩が、よしと納得できるものとしてできあがるところまで、場合によっては何度でも推敲して、仕上げることを大事にしたいです。

たとえば三日寝かせてみる。書いたのが夜なら、昼に読み返してみる。外に出かけて、川原かどこかで読んでみる。そんなことをよくします。

詩が生まれるというのは、素晴らしいことです。
だからまずは、自分の手許から生まれたその詩をだいじにしてあげてください。
その上で、何度も何度も、くり返し、その詩を読んでみてください。
それで、よし、できた、と思えば完成。自分の詩だから、自分がその詩を見つけてあげてください。
くり返しになるけれど、生まれた詩は大事。大事にしてください。

それとはまったくべつの話として。読み手に言葉を伝える上では、たくさんのたくさんの技術の積み重なりが必要だと思います。当たり前の話ですが、自分の書いた詩を、読み手がまったく違うふうに読むことは往々にしてあります。なので、どう書いたら読み手がどう読むのか、ということを知ることも大事かもしれません。
言葉を伝える、言葉で伝える、ということは、ほんとに日々つくづく思うのですが、こつこつ地道に磨いていくしかないんじゃないかと思います。

もしまだ手にしたことがなければ、何か詩について書いた本(詩集ではなくて)を読んでみるのもいいかもしれません。
おすすめは、茨木のり子『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)です。ジュニア新書ですが、大人にだって十二分に読み応えあります。それから、絶版ですがどこかで見かけたら、辻征夫『詩の話をしよう』(聞き手・山本かずこ、ミッドナイトプレス)もとてもいい本です。

では、ではね。

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(以下は昨晩書いたほう。でも追記↑も結局長くなってしまった……ごめん)

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ぼくは、書きたいと思ったらむき出しにして書いてしまいます。書きたいように書いていいんじゃないかと思っています。そして、詩が出てくるときに、読み手のことまで考えながら書く余裕があるか、というと、ないんです。詩が出てくる。そう感じながら、必死で言葉を、出てくるままに書きつける。それだけでもう精一杯です。

ただ、そうやって、いったんできあがった詩は、時間をかけて(数日のときも、あるいは数年寝かせて)見直します。そのときに、いろいろなことを考えて推敲します。

〈読み手が想像できるからよい〉ということに文学的な価値を置く考え方は、ポピュラーなものだと思います。いわゆる想像の余地を残す、という話ばかりではなく、たとえばちょっと長い文章が、あっちこっちへ行きながら、最後の最後でようやく結論にたどり着く、というような場合、こうかなああかな、と読者はその婉曲的な表現や複雑な文章構造やを追いかけていきますが、そうした結論の遅れ、読解の迷路もまた、文の細部における想像の余地と見なすこともできるんじゃないでしょうか。
詩の内容から、どう書くかまで、さまざまなところに読み手の想像の余地が生まれる可能性があるとすると、自分の詩を書く上で軽視できない話だろうと思います。

推敲する。できた、と自分自身が納得するまで書く。けっきょくやることはそういうことなのですが、感情をむき出しに書くこと、に話を絞っても、結論は一つじゃないように思います。

感情って、ほんとうに、言葉でむき出しに書けるものなのかどうか。
感情がむき出しの表現を、読み手に伝えるには、技術がいるのではないか。
その「伝える」って何だろう。あるいは「読み手が想像する」ってどういうふうにだろう。
読み手が自由に行なう〈読み〉を、書き手が意図してコントロールできるものだろうか。もしかしたら、読み手が想像できるできないという〈読み〉の領域で起きることは、書き手が与り知ることはできないんじゃないか。
……などなど。

それでも、伝えるための書き方はあり、想像の余地を残す書き方はあり、それを習得するにはどうすればよいのか、それを習得して書くとき、逆に感情をむき出しに書くことが先述(そんなことが言葉にできるのか)とは別の意味で、できないのではないか、などなど思い浮かびます。
もしもそうした技術があるとして(あると思います)、他人に言葉を伝える技術を用いて、なお自分の感情をむき出しにしないで詩を書き、読み手が想像できるように仕上げる、というスキルは、身につけようと思ったら時間がそれなりに必要になるのではないかとも思います。

ほとんどの詩の悩みや試行錯誤などは、時間が解決する、とぼくは思っています。考えていったらキリがない問題を一つひとつ、自分で考えて、自分にとっての答えを見つけていく。その途上で詩が生まれたりもして。詩作というのはもう、自分との対話とセットじゃないかと思っています。

2021.11.25木

凹む

失敗はどうしたってあるんだけど、やっぱりあると凹む。ここからリカバーすることが大事なんだ、と言い聞かせながら、リカバーの方法を考える。

それにしても、落ち込むことが多いぃ。できなさをぐっと堪えつつ、がんばったり、今日はここまで、にして休んだり、する、してる。

***

静かに過ごすの、てだいじ。

たぶん いまは そうゆう時期。

2021.11.24水

ターコイズ

11/21に書いた詩のゲラが午後に届いて、済ませておいた推敲に沿って赤字を入れて戻した。今日は午前中から二つ原稿に取り組めて、早寝早起きに変えた効き目が出始めているのかと思うとうれしいけれど、たぶんそんなすぐに出るわけないからたまたまだろーな。継続せんとかん。んー。

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土曜日にどんな話ができるだろう、とこのところ時間ができるとぼんやり考えていて、ああでもないこうでもないと頭の中でひとりごとをつぶやいては、対談だし、どんな話になるかはそのとき次第だな、と思ってなんにも結論はなく、頭の中に小さなひきだしがちょこちょこできている。

『着雪〜』のうち前半の連作8篇を書いていたのは4月の終わりから5月にかけてなので、だいたい半年ほどが経った。後半の3篇は数年前に沖縄で書いたもの(1篇は今回大幅に改稿、題も変更した)。すこしは引いて見られるようになってきただろうか。何かしら話せるようにしておくこと。

***

鳥取に来て、万年筆でノートに手書きする時間がめっきり減った。沖縄ではだいたい1〜2か月でロイヒトトゥルムのA5判1冊使っていたのに、今年はまだ2冊め。しかも2冊めは半分ほどしか書いていない。この分だと年をまたぐローペース。でも、手書きすると本当に違う。これはやっぱり大事なんだと思いつつ、あれこれあってなかなか向き合ってない。いまはそういう時期なんだろな。

149が去年来てからは149を使うことが多くなって、No.24はやわらかくて可愛くて好きで使っていて、あとはいちばん長く使っている手になじんだM800と、細字を書くときはトレド。来月でM800を使って8年になる。ずいぶんペン先がこなれて書きやすくなっている。まだまだ使える。黒軸の、普通のペンだけど、これは思い出が染み込んでるな。鳥のくちばしみたいなペン先のNo.24は、宝物。いちばん大事。149は森山さんに去年研いでいただいた、不思議なやわらかさのペン先で、魔法の羽根のよう。とそんなふうに考えていると、きりがなくなってしまう。『着雪』の特装版ではスリーブに題簽が貼ってあって、ぼくが手書きした文字を亜鉛凸版にしたものを、山元さんが小型の活版印刷機で手刷りしてくださった。この字はNo.24で書いた。だから奥付のエディションもNo.24で書き入れている。古いモンブランのターコイズのインクで。マニアックだなぁ。

2021.11.23火・祝

小雪

夕方川辺を散歩する。風がつめたくて体の芯まで冷えてしまった。それでも、暮れていく空を映す川面を眺めながら歩くのは心地いい。今日はついつい先までてくてくと行って、気づくと自転車でしか来たことのない辺りまでやって来ていた。鴨が渡ってきて、カルガモしかいなかった夏より多い。アオサギが一羽、エサを探しているのだろう、川の中にぽつんと佇んでいた。

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書きかけの原稿のいくつかを、今日は寝かせたまま、どう書こう、どんなふうな気持ちで書こう、とかそんなメンテナンスのような時間を昼は過ごしていた。ノートに万年筆でひさしぶりにあれこれ書きながら。

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商工新聞の連載、読者からの便りを編集部づてに受け取って、目を通すと一言一言に胸を温められる思いがする。今週は、新そばのことを書いた。お世話になっている伊那の製本所さんへうかがったとき、親方が皆にそばをごちそうしてくれた。そのときの思い出を。懐かしい。

2021.11.22月

もう一篇

今月もう一篇、詩の友人がメンバーに何人かいる同人誌の創刊号(祝!)に寄稿していて。その詩は、今年の初めに思いがけず引っ越しすることになったその渦中で、どこかのクリアファイルか何かから出てきたものだった。小さなQ数のフォントに褪せた文字でプリントアウトしてある。その詩行に書いた憶えがなく、でも読んでみると、たしかに自分が書きそうな言葉だった。以前使っていたパソコンのデータを探し、そこに見つかった。ちょうど十年前に書いた詩だった。何のことを書いた詩かはすぐわかった。それを公表してよいものかどうか、答えが出ない間はフォルダに置いておき、やがて忘れていた。そういう詩のなかの一つを、たまたま当時プリントアウトしてみたものが残っていて、今回荷造りに際して久しぶりに出くわした、という。

十年を経て、寄稿の話をうけてから推敲を重ねて、先日送った。以前「映画芸術」という雑誌に映画評を寄せたことがあるのだけれど、そのときに少しだけ実体験のほうのエピソードを書いた記憶がある。その体験をもとにして、この詩を当時書いた。2011年夏ごろだと思う。いまも、公表するに価するかどうかわからない。そのような詩が数篇ある。フォルダから掘り起こして、少しすこし手を入れてみようか、どうしようか。気が向いたら、というくらいかもしれない。昨日ふれた詩の方向で、ひとつ。十年前のフォルダから、もうひとつ。何か、詩の萌芽があるかもないかも、まだ決めてかからないで、手が動くなら手に任せようかと思う。

2021.11.21日

メモ的に

詩集をだしたあとは、からっぽになって何んにも出てこない。

でも今日ようやく、詩を書きたいな、と思えてきた。ぽかぽかした小春日和で、午前中、貞久さんの『外のなかで』を読み返したりして。それでそう思えてきた。詩、てこころがふくらむときにも書きたくなるもの。

それと、ちかぢか発表の予定だけれど、先日ひとつ書いた詩があって(依頼をうけて、もうほんとうに半年ぶりくらいでえいっと)その一篇を書いた、書けたことで、また蛇口が開いた、ということもあるんだと思う。

このことを書きたいな、という思いはずっとあったのだけれど、どう書いていいのやらわからないままだった。でもえいっと見切り発車的にとにかく手を動かして、言葉が出てくるつど、その先の一言、その次の詩行、を追いかけていくようにして書けたんだった。

***

余談だけれど、すこし前にノートパソコンと古い液晶をつないでみた。古いといっても、EIZOの17インチで、いまそれを使ってこれを書いているけれど、とてもいい。ノートパソコンはどうしても画面が小さいから。外付けの液晶とマックブックの画面、二つあるのも、こっちでワープロソフトを開いて、こっちでウェブページやメールやPDFを開いて、とかできるのが面白い。

とにかく、ずっと憧れていたEIZOのモニターを使っていられるのがうれしいな。もう15年くらい前のものだけど、往年の名機というやつ。かな。パソコンと違って性能や規格や対応ソフトなどなどで全然ムリというわけでもないというか、モニターは文字を書くだけなら色とかも気にしなくていいし、昔のものも使えるから、そういうの、いいな。

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9月

2021.9.27月

深める

詩を深めたい。

そう思ったからといって、深まるものでもないと思う。大抵は、小さなことでいいから、日常の習慣を何か変化させるといったことのほうが、詩を深めることにつながるのではないだろうか、と思う。たとえば、早寝早起きとか。料理を作るとか。掃除をするとか。こまめに。定期的に。

変化は、すぐそばで起こるのに、遠くをばかり、大きなものばかり、目立つことばかりに気を取られやすくて。

それでも、思う。詩を深めたい。そのときは、考えるしかない。いまじぶんが書いているものについて。それを構成する言葉について。それが拠って立つ方法や考え方について。つまり、詩法と詩論について。

まっさらになって、新しい詩を書いたから、まだじぶんが何を書いたのか分かっていない。まだじぶんがどこまでをし、どこから不明なのか、見極められていない。

雲のなかにいて、空のどこにいるか、つかめていない。

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7月

2021.7.11日

20年

今日で、フリーランスになって20年だ。
ずいぶん長い、とはあまり思えず、美篶堂の親方上島松男さんに以前うかがった、製本職人は20年続けてやっと一人前、という言葉を思い出している。

それでも、うれしいはうれしい。
いつも感じることだけれど、これまでやってきた道のりを振り返ったら、二度はできないだろうな、というような幸運の連続ばかりだった気がしてしまう。幸運というのは、この危なっかしい綱渡りで、あ〜……と落っこちてしまいそうになったとき、ぐらぐらっと体勢を崩しながらもなんとか綱の上にあり続けることができた、という意味で。そしてその幸運の多くは、人に助けられたことだった。

このホムペに日々の記を書くのも、見たら去年の10月以来だったから、またずいぶんと日があいてしまった……。ちょうど11月からLe phare poetiqueのホームページ をはじめたので、そちらに取り掛かっていた(言い訳)。去年の終盤から今年前半にかけても、たくさんのたくさんのことがあったけれど、いちばん大きな変化は、ひっこしたことかもしれない。いま山陰なんです。

六番目の詩集『三十三センチの時間』ができたこと、初めての詩画集『いまきみがきみであることを』を作れたこと、このふたつのこともとても大きい。ぼくにとって、この二冊を近い時期に上梓できたのは、それぞれに作ろうとする動機やきっかけやエネルギーや物事の進み方などがあって、同時期をめざしたわけではなかったけれど、それでも(もしそうなったらいいな)とは思っていた。本のことはまたいずれ。

この20年を振り返って、節目になった仕事は何だったろう、と考えてみた。

2002年1月に、このホームページ を作って、詩を発表しはじめたこと
2004年6月に、第一詩集『心を縫う』を上梓したこと
2012年2月に刊行した『日本の七十二候を楽しむ ─旧暦のある暮らし─』がベストセラーになったこと

この3つの仕事が、その後のぼくの人生を大きく変えたと言っていいんじゃないか。

最初の十年は、東京でコピーライターをしていた。次の十年は、沖縄で執筆をしてきた。ちょうど二十年の区切り目になるところで、鳥取に来た。だからまた新しい旅が始められたらいいな、と思う。べつに狙って十年ごとに一区切りにしているわけじゃないけれど、偶然にせよ、キリがいいので、そうした奇遇をきっかけにするぐらいならいいんじゃないかと思っている。

沖縄から離れることになったのは、思いがけないトラブルに背中を押されて、ということもあった(部屋の立ち退きに遭ったので)。何の因果かとふしぎな気もする。こころのいくばくかは、島に置いてある。そのつもりでいる。その上で、十年ぶりに春夏秋冬の移り変わる気候風土のなかで生活していて、これは楽しい。

詩があったからこそ、やってこれたんだ。

このホームページが、全てのはじまりだった。

また新しい旅に出よう。

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